あなたの周りにこういう人がいませんか?
感性豊かで、現実世界よりも感覚的な世界が好き。
スピリチュアルなことに詳しくて、「感謝」って言葉が好き。
目に見える世界よりも感覚的な「感じる世界」を重視して、目の前で起こっている問題や解決すべき課題には目がいかない。
論理よりも感覚で生きることを好んでいて、健康にもかなり気を使い、新しい情報や知識を取り入れる意欲も人一倍で、そのための行動力や実践力もとても高い。
なんか、ふわっと生きているように見えるけど、他人を枠にはめたり見下すようなところもあって、一緒にいるとちょっと落ち着かない。
抽象度の高い人の特徴
そういう人の特徴として、こんな言葉や表現を好みます。
引き寄せ、宇宙の法則、オーラ、シンクロニシティ、セレンディピティ、あなたのままでいい、そのままでいい、自分らしさ、キラキラしたエネルギー ・・・
それらはなんとなく心地のいい、人づきあいや世の中に疲れた人にはどれも心地よく、なんとなくふんわりと包まれるよな優しい響きをもっています。
そしてよく、
出来事や物事に「意味」をつけたがります。
例えば、
「出かける日に天気が悪くなったのは、行くなって神様が言ってるんだ」
とか、
「大切にしていたモノが壊れたのは、私を守るために代わりに負のエネルギーを受けてくれたから」
とかです。
どの言葉もなんとなく耳心地のいい雰囲気を持っているけれど、その言葉の意味や論理的な裏付けを分かりやすく他の人に説明しようとすると、ちょっと難しく感じてしまうような抽象度の高い言葉だという点にあります。
経済的に困窮し続ける原因
抽象度の高い視点や思考がよくないのではありません。
学ぶ意欲が旺盛で目に見えない世界を理解しようと努めていて、抽象度の高い思考が得意。
でも、そうしたスキルを活かして現状をなんとか変えようとしているにもかかわらず、なぜか経済的に困窮「し続ける」原因には目を向けません。
いや、本当は気づいているのかもしれませんが、見ないふりをしています。
知的好奇心が旺盛で、不思議なことや面白いこと、ユニークなことが大好き。
みるみるうちに積み上がっていく知識とその心地よい言葉と雰囲気に集まってくる仲間。
その結果、
- 自分は他の人よりも物事が分かっている
- 自分は抽象度の高い人間だ
- 自分は他の人よりステージが高い人間だ
という意識が芽生え、
いつしか
- 自分は他の人とは違う特別な人間だ
- 自分は上、あの人たちは下
- この感性を理解できないなんて、バカじゃない?
といった、
一種の傲慢にも似た意識に、いとも簡単に囚われてしまいやすいのです。
そうした意識に自分自身が溺れてしまい、言葉遊びの快感に浸ってしまった結果、まるで小難しい本を自分の書棚に並べて、それを眺めて悦に入るような残念な「自己満人間」が出来上がるのです。
自分は特別という思い
「自己満人間」になってしまうと、ふわふわとした抽象度の高い世界と地に足のついた現実世界を行き来すること辞めてしまい、むしろ積極的に現実世界とのつながりを断つようになっていきます。
- 自分は分かっている
- 自分は意識が高い
- 自分は特別だ
と思い込んだ瞬間に分離意識が心の中に芽生え、その「分離意識」が現実世界と抽象度の高い世界の交流を遮断しまうからです。
- 意識の高い、抽象度の高い、あいつらよりも上の世界
- 意識が低い、抽象度の低い、自分たちよりも下の世界
その「分離意識」が自然界で本質である
『循環』
を止めてしまい、その結果、お金の流れも止めてしまうのですね。
私たちが生きているこの地球の姿の本質は、循環そのもの。
太陽に温められた海水が蒸発して雲になり、雨を降らせ、雨が山や地中を伝って川になり、やがて海に戻ります。
私たちの身体も地球と同じように、
日々、水を飲み、食物を食べ、排泄します。
息を吐いては吸って、吐いては吸って、呼吸という名の循環を常に繰り返しています。
それが、私たちが生きているこの世界のメカニズムであり仕組みです。
また不変のルールでもあります。
循環し続けることこそがこの世界の本質なのです。
それにも関わらず、抽象度の高い言葉を知ってちょっと分かった気になった瞬間に「分離意識」に取り込まれ、情報の流れを止め、人との出会いを止めてしまうことでお金が循環する流れをも自ら止めてしまい、結果的に、経済的な発展を止めるどころか、次第に窮していくのです。
- 意識の高い自分が金銭的に認められないのはおかしい!
- 抽象度の高い自分はもっと評価されてしかるべきだ!
- どうしてあんな薄っぺらい奴がお金を持ってるんだ!
と逆恨みしたり、環境や境遇のせいにしてしまうのです。
お金の生み出し方
どんなに素晴らしい知識や技術を持っていても、それを「下の世界の人」に伝えて使ってもらわなければ役に立ちません。
役に立たないから、そこにお金は生まれません。
どんなに抽象度の高い「上の世界」にいても、現実世界から分離しては生きていけないわけですね。
抽象度の高い思考ができるようになったのであれば、その思考から得た気づきをできるだけ抽象度を下げた具体的な言葉で
現実世界に届けようと努力すること。
一般的には分かりづらく理解しずらい抽象度の高い世界への理解が進んだのであれば、それをできるだけ分かりやすく、
できるだけイメージしやすく現実世界に生きている人に届ける工夫をすること。
「あの人たちとは違うのよ・・・」といった、現実世界との「分離意識」ではなく、むしろ現実世界との「一体感」を持って循環を生み出そうとする姿勢を貫くこと。
そうすることで、この世界の本質である循環が生まれます。
循環が生まれた結果、情報が必要な人に届き、その情報が人との出会いを生み出し、人との出会いがお金の流れを生み出します。
ただ、現実世界を俯瞰する、客観的で抽象度の高い視点を持つことが、よりよい人生を実現するために必要で有効な手段であるということは間違いないと断言できます。
ただ、そうした抽象度の高い視点が人生において現実的な効果を発揮するためには、俯瞰した位置からの高い視点を持って地上を離れたとしても、必ず現実世界に戻ってくることが「絶対条件」なのです。
循環を生み出し、自分の手元にお金も本質的な人生の幸せも引き寄せる絶対条件は、常に現実世界との接点を常に持ち続けること。
だから、ブログやSNSを活用して情報発信をしていく上で重要なことは、常に「現実世界」と「抽象度の高い世界」を行き来する意識と言葉。
具体的には、崇高な理念やビジョンと現実的な行動を誰もが起こせる平易な表現ということになります。