心理学の学びやカウンセリングのトレーニングなどではよく、
「相手の問題と自分を切り離して、俯瞰の目を忘れないこと」
と言われます。
そうしないと、相手が自ら解決すべき問題をまるで自分ごとに捉えてしまい、余計な手を出してしまったり、考えるチカラや成長の機会を奪うことになりかねない。
そうなってしまうと、本当の意味で、相手に寄り添うことにはならないですよね。
なんか違うような感覚
わたくしは以前、就職活動をする学生や社会人の方のサポートをしていたことがあります。
なかには、希望の企業に内定したあともいろんな形で話を聴いたり相談にのったりすることがありました。
就活を通じて今までとは違う価値観が生まれたりして、それまでの友人関係に悩みを持ったりすることがよくあります。
ただ、そうはいっても新たに生まれた価値観に自分自身が自信を持てないし、今までのお付き合いは「なんか違うかも・・・」と思いつつ、急に今までの人間関係を変えるわけにはいきません。
とは言っても、
自分の価値観が変わってしまったので今まで通りお付き合いするのが難しくなってしまうんですね。
そこにストレスを感じて「私って間違っているでしょうか?」という不安が生まれ、「話を聴いてほしい」という要望が生まれます。
この人と結婚したいと思っていたけれど・・・
希望通りに内定を獲得し、就活のサポートも終わった女性から連絡をもらい、話を聞いてほしいとのこと。
その内容は付き合っている同じ年の男性、つまり彼氏との関係についてでした。
割とせきららな内容も含めて話を聞き、素直な思いと悩みを打ち明けてもらってそれを解決・解消しようとしているのに、なんだか手応えがない・・・
2回、3回と話しを伺う機会を持っても、一歩進んで二歩下がる・・・ のような、一周回ってまた戻る・・・ のような。
本質的なものが解決・解消せずに堂々巡りの状態に陥ってしまいました。
その女性はその彼氏と「就職してある程度安定したら結婚したい」という希望も持っていました。
とても真面目で頑張り屋、人間性も素敵な彼女。
大好きな彼氏と付き合えているんだし、結婚への問題は経済的安定だけ。
その問題は二人が就職して安定収入を得るようになれば解消し、なんの障害もないはず・・・
でも、なんだか違うような・・・
大好きだし、就職すれば経済的にも安定するし、すぐに結婚とまでは行かなくても将来のことをもっと具体的に考えられる。
彼も一応大手企業に内定をもらったから何の障害もない。
なのに、なんだか違う気がするのはなんで・・・?
彼女はそんな思いを抱え、それに違和を感じ、堂々巡りをしていました。
そしてわたくしも、
毎回セッションの終わりには笑顔で帰っていくのに、彼女は、なぜかまた同じ場所に戻ってしまうような・・・
なんかちがうよな・・・
と感じていました。
共感的に話を聴き、まだ20代前半の男はそれほど真剣に結婚というものを捉えられていない(考えきれていない)可能性が高いことを伝えたり・・・
就活を終えたばかりでホッとして、精神的にナチュラルな状態に戻っていない可能性があることなど、いろんな視点を交えて彼女の心の奥にある「何か」を引き出し、気づいてもらおうとしました。
でも、ボク自身が、彼女と話す上で重視すべきことができていないために、それが原因で彼女を堂々巡りさせることに繋がっていることを、その時はわからずにいました。
共感力だけでは、全く不十分
今思うと、自分自身のセッション力が不十分だったとわかります。
ボクは、自分の『個人ミッション』として「共感的に接すること」を大切にしています。
(参照:https://umikazekaoru.com/personal-mission/)
カウンセリングの学びの中でも講師の方にも
「よく相手に共感できています」
「共感力が優れているから相手が本音を話しやすいですね」
というような評価をもらっていました。
でも、当時 圧倒的に足りなかったのは
自分の、相手への寄り添う姿勢のあり方を俯瞰(ふかん)するチカラ
でした。
相手目線に立ったり、共感的に寄り添ったり・・・
そのことは意識していましたし、もともとその資質もあったようです。
でも、
相手を、そして、自分自身をどのように導いていくかという俯瞰力を養うことができていなかったのです。
俯瞰力がないと、相手の課題や問題に踏み込み過ぎたり、
気持ちや感情の動きに寄り添い過ぎたり、
自分の感情が誘導されたり入り過ぎたり・・・
そういう状態で相手に接すると、
自分の価値観や観念のほうへ無意識に誘導してしまったり
だれかの敵や味方になってしまったり・・・
理想的な方向へ導く(気づきを与える)チカラを発揮できなくなってしまいます。
もし誰かに何かを相談する時、
相談相手の共感力が強いと、その時はとても気持ちがよくなり、よく聞いてもらってわかってもらった気になるのですが、問題の本質は解決しにくくなります。
共感力が強い人はほとんどの場合、母性溢れる優しい人が多いので子ども(相談者)が母親(相談相手)に甘えるような構図となりがちで、依存や一体感を生んでしまいやすいので注意が必要なんですね。
離別感をしっかりと持つ
本当に相手の成長を願うなら、俯瞰力と離別感をしっかりともつ。
俯瞰力 とは、
自分にも相手にも、必要以上に感情移入をしないチカラ
相手の感情の動きだけでなく、自分の感情の動きにも客観視できるチカラ
そして、
相手にも自分自身の感情を選ぶ権利を許し、与えるチカラ
相手がどの感情を選んでも受け止め尊重するチカラ
です。
コミュニケーション心理学を学んだ際によく
「離別感を持って接すること」
と、よく講師の方が言っておられました。
離別感とは、
自分と相手は別人格だと認識し、自分の問題と相手の問題を分けて考え、
相手の問題に必要以上に踏み込まない。
ことです。
相手と自分の問題を切り分けて考え、相手の問題を解決するのは相手 という、簡単なようで難しい この離別感を持って接する ということ。
冒頭でリンクした、
東京メトロの階段で お母さんが子どもに傘を自分で閉じさせたのは離別感をもって接していたからでしょう。
アドバイスを求めた時に「自分で考えてみなさい」 と突き放すようにいう上司は、あなたの成長を心から期待し、願っているのかもしれません。
そして、
そういう上司の方がなんでも親切に教えてくれる人よりも、本当の愛情を持って教育できる人と言えるかもしれません。
なんでも答えをくれる人は、すごい人ではなく「すごいと思われたい人」なのかもしれませんね。
離別感
俯瞰力
そのことを意識して瞬時に相手目線に立ったり、瞬時に自分と相手を俯瞰して見つめたり。
ポジションを変えながら相手と接すると成長を促しつつ、問題を解決する手助けをスムーズにできるようになります。
いつでも、どの立場でも意識したい離別感・俯瞰力。
ぜひ、あなたも意識して他人と接するようにしてみてください。
人の悩みの90%は人間関係に起因すると言われます。
人間関係がわずらわしく思う第一の原因が、相手の問題をまるで自分の問題として取り入れてしまったり、その問題の解決を相手から依存され、それを受け入れてしまうこと。
もしかしたら、俯瞰力・離別感があれば、「わずらわしいと感じる人間関係の悩み」から自分を解放できるかもしれません。