以前、ある企業の人事担当者とお話ししていたところ、
ウチでは、外的基準の人は採用しない
とおっしゃっていました。
外的基準の人とは 例えば、
『自分のやりたいことや目標に対してうまくいっていると感じるのはどんなとき?』
という質問をしたときに
・誰かから褒められたとき
・誰かにうまくいっているねと言われたとき
などと答える人です。
外的基準の反対として内的基準の人がいます。
内的基準の人は同様の質問に
・自分で決めたスケジュール通りにことが運んでいるとき
・問題を自分で解決できていると実感するとき
などと答えます。
うまくいっていると感じる基準が自分の外側にあるのか、内側にあるのか
このことを重視して採用活動をするそうです。
ボクがカウンセラーを目指すのを辞めた理由
ボクはストレングスファインダーで出された通り、共感性に強みがあります。
そして、当時担当していた採用活動や転職支援活動などを通じて、また自分自身の過去のいじめ体験や(今でいう)パワハラ的な上司への対応の経験などから、困っている人やメンタル的な援助を必要とする人の力になりたいと思い、カウンセリングやコーチングの勉強をしてきました。
その学びの過程で自分自身が抱えている心の問題や未解決の課題に、深く向き合わなければならない状況があります。
セラピストやカウンセラー、コーチを目指した経験のある方なら誰もが通る道ですので「わかる!」と感じる方も多いと思いますが、クライアントと相対しているときにふと、自分自身の投影かな・・・ と感じたり、まるで自分のことを言われているようでイライラしたりすることがあります。
他人(ひと)を助けたい
他人(ひと)のためになりたい
という思いは、実は、
自分を助けて欲しい
自分のためになって欲しい
という思いの裏返しの可能性が大きいと気がつきました。
そして、
自分の抱えていたものや心の奥に押し込んだまま未解決になっていたことと向き合い、自分自身との対話を繰り返した結果 自分の問題はほぼ解決・解消したのですが、正直なところ「心がスッキリするレベル」までたどり着く過程に、「めんどくさい」という思いを抱きました。
自分の問題でさえ、解決・解消に向かわせる過程を「めんどくさい」と感じるのに、他人様の心の問題を解決・解消へ向かわせるサポートをすることに、めんどくささを感じないわけがない。
そう思ったので、「向いている」「適性がある」と思っていたカウンセラーを目指すことを止めました。
今思っても、正式にカウンセラーとしてクライアントさんに向き合う前にそのことに気が付いてよかったな・・・ と思います。
一流のアスリートが共通して言っていること
冬季オリンピック
今年ほど面白く感じ、釘付けになった年はありませんでした。
羽生結弦選手の怪我からの金メダルはもちろんですが、ボクは、スピードスケートの小平選手の過去のオリンピックから今回の金メダル獲得までのストーリーや、高木姉妹の姉妹ならでは悔しい思いや嫉妬からの同時出場、メダル獲得のストーリーにとても興味津々です。
また、カーリングチームの「いつもニコニコ、あの明るさ。どんだけメンタル鍛えたんだろう・・・」という尊敬と、特に本橋選手のチーム設立の経緯や思い、吉田選手の前チーム解雇から今のチームへの合流、銅メダル獲得のストーリーに、力をもらえた気がしています。
そんなアスリートのみなさんが共通して言っていること。
チームメンバーやサポートスタッフ、応援してくださる方に感謝したい
という言葉。
一見、優等生的で面白みも何もないのですが、少し深く考えながら自分が魅かれるアスリートのストーリーを辿れば、その言葉に込められた思いや深さを自分なりにですが感じることができて、ただの優等生的発言ではないんだな・・・ と気付かされます。
応援したくなる人になる
アスリートを応援したくなるのは、何故なのか?
深い考察はできませんが、自分の目標に対して愚直で一生懸命であることは間違いありません。
競技なので誰かと対比して自分のレベルを測ったりする必要もあるので「外的基準」の要素も大きいですが、目標に対して自分自身やコーチがイメージすることに、強い内的基準を持っていらっしゃるのだと思います。
また、一流のアスリートはすごい人なのですが、誰かから「すごいと思われたい」という欲求はそれほど高くないのではないかと思います。
そんな、他人から「すごいと思われる」ためじゃなく内的基準で目標に対して愚直に取り組む人を、人は応援したくなるのだと思います。
ボクは、一時期目指していたカウンセラーというもので人の役に立ち、「すごいと思われたかった」のかもしれません。
そのことに早く気づいて目指すことを止めたのは、よかったのだと自分では思っています。
応援したくなる人になる。
そのことが夢や目標を叶える近道。
また、
周りが応援したくなる人になるために、「すごい人と思われたい人」になってはいけないのだと思います。
そのことをアスリートは教えてくれている気がしています。