時々、神社やお寺に行って心を落ち着かせたり考え事をしたりしているのですが・・・
神社やお寺にお参りし「感謝とお礼」を伝え、御朱印をもらうとなんだか気持ちがスッキリするんですよね。
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目次
御朱印をいただきます
ここ2〜3年ですかね。
神社やお寺を訪れた際、「御朱印」をいただくようになりました。
以前から世間ではちょっとしたブームになっているようで、メルカリやヤフオクなんかで御朱印が売り買いされているとのこと。
特に、季節や期間限定ものやアート作品のようなもの、人気の寺社のものは、驚くような高値がつくこともあるようです。
そのことに目くじらを立てるつもりはありませんし、「そもそも御朱印とは・・・」などと言うつもりもありません。
が、「ボクとはちょっと考え方が違うかな〜」とは思います。
ただ、その反面、茨城県小美玉市の素鵞神社(そがじんじゃ)の素晴らしい祭神画御朱印などを見ると、アート作品や絵画作品の一つとして欲しくなる(手に入れたくなる)その気持ちもわからなくもありません。
まぁ、御朱印をいただく寺社および自分のポリシーに沿った取り扱いにしたがって、楽しめばいいのではないかな〜と思っています。
御朱印とは
先ほど、「そもそも御朱印とは・・・」などと言うつもりはないと書きましたが(笑)
「御朱印(ごしゅいん)」とは、主に日本の寺院や神社において、参拝者向けに押印(おういん)される印象および印影のこと。
現在ではその寺社を訪れ参拝したことを証明する「参拝証明」との認識が一般化しているようですが、もともとはお経を書き写す修行(写経)」を行い、お経をお寺に納めた証明として「朱印」を頂くものでした。(諸説あるようです)
参拝した証明というよりは、修行した証明にいただくものと言えそうです。
ただ、あるお寺の住職さんのお話を伺った時、「自分の時間やお金を使ってお寺を訪れること自体が修行」とおっしゃっていたので、その意味では現在の御朱印の授かり方も、間違いとはいえないですね。
ポイント
御朱印は、修行を納めた証明にいただくもの
外国にも御朱印はあるか
先ほど、「主に日本の寺院や神社において・・・」と書きましたが御朱印のようなものは、外国の寺社にもあるのでしょうか?
私自身、台湾の龍山寺や佛光寺、香港の黄大仙祠などのアジアの寺社、パリのノートルダム大聖堂やバルセロナのサグラダファミリア(まだ完成していませんが)など、他にも有名なところにも訪れたことがありますが、御朱印のようなものはなかったような気がします。
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ざっと調べたところ、韓国では御朱印を頂けるところもあるとのこと。
また、私も訪れた台湾の龍山寺で「頼んだらスタンプとペン書きの御朱印をもらえた」という人もいました。
ただ、日本と同じような意味合いの「御朱印」と言うものはないようで、日本独特のものと言えそうですね。
御朱印はスタンプと違って自分で押印しないもの
ちょっとしたブームにもなっている「御朱印集め」
複数の朱印の印影を集めることを集印といい、朱印を押印し、集印するための専用のノートを「御朱印帳」と呼びます。
この御朱印帳自体も非常にオリジナル性、デザイン性が高いものもあります。
わたしは星野リゾート「ロテルド比叡」で、星野リゾートの御朱印帳を購入しました。
ちょっと前までは非常にシンプルなデザインのものが多かったと記憶していますが、最近はホントにカラフルでデザイン性にも優れているものが増えたな〜と思います。
自分好みの御朱印帳を持つと、楽しくてテンション上がりますよね!
ところで、わたし 小さい時に電車の駅のスタンプを集めていました。
お母さんにおねだりして、駅の売店(当時はKIOSKとは呼ばなかった・・・)でスタンプ帳を買ってもらった記憶があります。
そのスタンプ帳を忘れて旅行に行ったりすると、お母さんが持っていたメモ帳やノートに押して、家に帰ってから切り取って自分のスタンプ帳に貼り付けていました。
御朱印を、まさかノートやメモ帳に頂く人はいないでしょう・・・
そして訪れた観光地(例えば、東京タワーとか・・・)のスタンプも押して、一緒に貼り付けていた記憶がありますが、こうした駅や観光地のスタンプと御朱印の決定的な違いは、「自分の手で押印するか、しないか」にあるように思います。
御朱印は、寺社の職員や僧侶、神職、氏子などの手によって押印し、基本的に、参拝者が自分で自由には押印できない。
さらにその際、単に印を押すだけでなく、黒墨による毛筆書きで、神社名、神仏名、参拝日などの文字が書かれてることも多く、その墨書(すみがき)含めて「御朱印」と呼ばれています。
寺社によってはあらかじめ書かれたものを購入する形で受け取るところもありますが、基本的には御朱印帳を寺社関係者にお預けし、拝受するもの。
自分の手で押印、記入することはありません。
ポイント
御朱印は、神さまや仏さまに仕える人の手を煩わせた上で受け取るものということを意識すると、御朱印を頂くことに対してより深い感謝が生まれてきます。
御朱印集めはスタンプ集めとは非なり
その場所を訪れた証となるスタンプでは、例えば、目的の駅でスタンプを押し、数十分後の次の列車で次のスタンプのある場所へ・・・ ということもします。
御朱印は「参拝の証」「修行を納めた証」ですから、寺社に着くなり御朱印処に飛び込んで御朱印だけをいただき、直ちに帰る・・・
といったことはいけません。
寺社によっては先に御朱印帳を預け、ゆっくりと参拝した後に受け取るといったところも多い。
その方式は、御朱印を書くのにも時間がかかりますからお待たせしないように・・・ という寺社側の配慮と、「ゆっくりと参拝されてください」という気遣いを感じます。
こういったことも考えると、やはり自分の足で訪れ、日頃からの感謝を伝えた後に頂く御朱印に価値とありがたみを感じます。
願いは叶わない・・・ お参りはお礼と感謝を伝える場
神社などで「参拝」する時、「願い事」をする人たちの、その願いが叶えられることはない。
世の中の大多数の人たちは財布から取り出した僅かなお賽銭を投げて、両手を合わせて目を閉じる。
「〇〇できますように」
「〇〇になりますように」
そのような願い事を唱えられても、神や仏だって困るわけです。
願いが叶う参拝方法
神や仏の力を借りたい時・・・
願ったり頼んだりするよりも、神や仏にご挨拶と感謝を伝えに行く感覚。
これが非常に重要です。
そして、「ありがとう!」の気持ちを、お札(さつ)=お礼(れい)として、賽銭箱に投げ入れる。
すると・・・
神様、仏様から見ると、沢山の願掛(がんかけ)しに来る人たちの中で、お礼(れい・さつ)を言っている人だけが、「おっ!」と思わせるキラリと光る存在になり、そういう人を見つけると、神様、仏様も嬉しくなるのではないかと思います。
神様も、本気かどうかも怪しいような依存度の高い願い事を一方的にされても、うっとうしいでしょう。
きっと神も仏も人間と同じで、うっとうしいものは後回しにし、嬉しいことや楽しいことから手をつけていきたいはずです。
願掛け多数の中に「御礼」を発見してもらう。
すると不思議なことに、神様、仏様は新たな兆しに気づかせる何かを与えてくださったり、その答えを持った人と不思議な縁を結びつけてくださったり、役立つ必要な情報であったりモノをもたらせてくださるのです。
願いを叶えるためには願うのではなく、感謝し御礼をする。
大勢の人が「願掛け」をしているなかで他人と違うキラリと光るもので神様、仏様に発券していただくのが「御礼」です。
願いを叶えるお参りの仕方
願掛けではなく、御礼を伝える。そのことで他人との差別化が図られ、神様、仏様にとってより目立つ存在となる。
まとめ 令和元年 新たな気持ちで御朱印拝受の旅をスタート
子供の頃、鉄道の駅のスタンプを集めるのが楽しくて、スタンプを増やすことに熱中したことがありました。
お金も時間も、そして一人で行動することもままならない中で、その目的は「より多く、よりレアなスタンプを集めること」
でも、随分いい歳になったいま、新たな気持ちで御朱印集めをしていきたいと思っています。
ポイント
御朱印は、修行を納めた証にいただくもの
御朱印は参拝した寺社とのご縁
寺社を参拝した証にいただくだけでなく、
- なぜ、数ある寺社のなかからそこを訪れたのか
- その時の精神状態はどうだったか
- 訪れたことでどんな心境の変化や気づきがあったか
- そこでどんな修行を納めたのか
頂いた御朱印を後から見返した時に改めて記憶が蘇るポイントでもあります。
先にも書いた通り、御朱印はスタンプと違い自分で押印したり書いたりできません。
御朱印帳を預け、相手(寺社の職員や僧侶、神職、氏子など = 神仏に仕える方)に一切を委ねるもの。
時には、まだちょっと書き慣れない感じのある書体であることもあります。
それもご縁。
それをみて感じること、思わず口に出る言葉が、その時の自分の状態です。
自分の心の在り方に、どれほどの「余白」があるかがわかります。
また、自分以外の人や環境、条件に対し、いかに自分が「コントロールしよう」と思っていたかがわかります。
それも寺社に参拝したとこで頂いた気づきの一つです。
御朱印をいただくことを楽しみつつ、頂いた御朱印を見返した時に成長の軌跡を振り返ることができるといいなと思います。